ファンド王が出立した。
護衛と多くの貢ぎ物と共に転移の魔法を使い、姫の実家の最も近い場所から外遊する形をとっている。失礼があってはいけないと、護衛の数は最小限であるが、魔法師団の団長自らが護衛を勤めているとあっては、ほとんどの者は手出しできまい。
クリスエスは、机に向かい黙々と仕事をこなしていた。
ファンド王がいない間の大きな仕事は、すでに粗方片付いた。
深夜まで夕立Pの一件の後処理に追われていたが、すでに問題はない。まさかこのタイミングで喜兵衛や切身魚にぶつかるとは思っていなかったが、そういうものだろう。
喜兵衛とは、5年程前に一度顔を合わせたことがあったが、強者のオーラを感じずにはいられなかったことを覚えている。そこにラムドPやラングドシャPまで加わったことを考えると、夕立Pだけでは荷が重い。
本来であれば、切身魚に見つからない予定であったのだが……。
そんなことを考えながら内政官執務室での仕事を一区切りさせたクリスエスは、帰宅する準備に入っていた。ここ数日は、王城に泊まり込みで内政処理に追われていた。城の設備は快適だが、やはり住み慣れた自宅での休息を取りたいと思うこともあるものだ。
「クリスエス様。このような時間に申し訳ありません。」
準備を終えようというところで、名も知らぬ兵士が飛び込んで来た。
「何事だ。」
深夜に来る話などロクなものではない。
「はっ、王城の裏手に複数の魔物が出現したのでご報告に上がりました。」
ここ最近、魔物の出現頻度が上がっている。
「剣闘師団はどうした。」
クリスエスのところに駆け込んで来ずとも部隊を展開すれば良い。
「小隊が王の護衛に行っており、kentax剣闘師団団も隊を率いてセレスティアとアビサルの国境へ向かいましたので……。」
なるほど、手薄になっていたか。
「外遊よい、事情は分かった。魔法師団を叩き起こせ。剣闘師団で対応できる者は魔物の処理と門付近の護衛だ。」
クリスエスの指示を受けて、兵士は姿勢を正す。
「それからm-a様がもし起きられたら伝えておけ、異端審問官・クリスエスが直々に敵を討伐してくるとな。」
王城の裏手はすぐに草原へと繋がっている。
クロスフェードの最も端に位置する始まりの地。
それがファンド王の治める地「王城ノルド」である。
クリスエスは、仕事の際に身に付ける簡素なローブを戦闘用の服装へと変える。
戦闘用魔法『モデルチェンジ』
普段の服装である黒の服装を基盤に腰回りに銀色の直垂、胸部には青い水晶を中央と鳩尾、肩口にそれぞれ埋め込んだ黒色と銀色の混じった甲冑が現れる。
これがクリスエスの戦闘スタイルだ。
クリスエスは龍人族、龍のような頭部を持つ人型の種族である。
元々、龍に関わる種族は他の種族より力が強い。
それゆえに剣や武器を使いこなし、敵を屠る。
クリスエスも剣は得意である。腰に長剣を指し、準備を整えると王城の裏手にある巨大な扉の前に現れた。
「状況はどうなっている。」
門の前にいる兵士が答える。
「先ほど、剣闘師団の方々が出ていかれました。魔法師団の方々もまもなく。」
門が堅く閉じられているのは、魔物の侵入を防ぐためだ。
「敵の数と位置、こちら側の被害を知らせよ。」
クリスエスは腰に刺している剣を構え直す。
「魔物の数、およそ30。位置はここから50メートルほど離れた森の中です。先ほど、夜の見回りをしていた兵士3名が襲われ、2名がやられました。」
夜間の襲撃だ。
被害は少ない方だろう。
「よかろう。魔法師団が到着次第、光の魔法で明かりを灯せ。剣闘師団にはメッセージで連絡。私が出る、門を開け。」
そこまでの数で集まっているということは、魔物は狼の類だろう。
クリスエスは、単騎で門の前に立つと剣を抜いた。
門が開くとそこは草原。すぐ先に鬱蒼としげる森が見えている。
補助魔法『ブースト』『アクセル』
身体速度と移動速度を上げる魔法だ。
これでかなりの速さで動くことができる。
「俺が出たらすぐに門を閉じておけ。」
そう言うと、クリスエスは即座に夜の森に消えていった。
そこから少し離れた森の奥では、剣闘師団が狼の魔物に囲まれていた。
kentaxと主要な戦力を欠いているが、善戦している。
魔法師団がいれば十分に片付けられるだろう。
「よく戦っているな、剣闘師団。少しお手伝いするとしよう。」
クリスエスの速度はすでに常人の域にない。
剣闘師団を取り囲むようにいる狼の魔物の群れに外側から切り込み、1頭目の首を切断した。
「脆い。」
狼の首が地面に落ちる前に、次の狼に走り、一閃。鳴き声を上げる暇もない。
クリスエスは竜人族。生まれながらにして竜の力を宿す者。
3頭目の首を切り落としたところで、狼たちがクリスエスを視認した。
ウォオオオオオオン
雄叫びと共に剣闘師団を取り囲んでいた狼の約半数がこちらに向かってくる。
「10頭程度で、俺を屠るか?ぬぅん。」
クリスエスの背中に羽根が現れた。
その翼はドラゴンのそれである。
夜の闇の中、羽根を広げたクリスエスが浮かび上がる。
「さぁ、踊れ。」
そのまま、狼たちの群れに突っ込んでいく。
早い。
ザンッという音が聞こえた時には、すでに2頭の首が落ち、クリスエスの剣には血がネットリと付いていた。
ヒュッという風切り音と共に剣の血をふるい落とす。
これで5頭。
向こうでは剣闘師団が防御を固めつつ、順当に狼を倒している。
1対多数になるようにうまく陣形を築いているのは、日頃の訓練の賜物であろう。
「しかし、これ以上の深夜残業は、好ましくない。」
クリスエスは羽根を大きく広げる。
狼たちはウウウと低いうなり声を上げる。
すると、突然1頭の狼がガアッという音と共に口から風の球をクリスエスに向かって撃った。風の初級魔法『空弾』である。
魔物化した狼がよく使う魔法だ。
他の狼たちも真似をしてクリスエスに空弾を放つ。
その数、10。
「喚くな、理性のない獣共が。」
クリスエスは羽根を大きく震わせる。
魔法『エアロブレイド』。
竜が得意とする羽根を震わせて放つ大気の刃だ。
空弾をすべて軽々と切り裂き、同時に4頭の狼の身体を縦に両断する。
残りの狼たちは咄嗟に身体を後ろに逃がしていた。
ウオオオオオオオオオン
狼が再び雄叫びを上げた。
先ほどよりも大きい。
まるで何かを呼んでいるような?
そう思った瞬間、剣闘師団の方から声が聞こえた。
「巨大化した狼の魔物がいるぞ!」
剣闘師団側の森の奥から、目の前に並ぶ狼たちを2回りは大きくしたような魔物が出現した。
個体名『ウインドウルフ』。
魔物化した際に狼のリーダーが変化したものだろう。
ウインドウルフになると、魔力が増大し、嵐を起こすような魔法まで使用できるようになると聞く。
「ウインドウルフまでいたとはな。よかろう。剣闘師団!」
クリスエスが一際大きな声をあげた。
「敵の囲いの一点を突破し、その場より離れよ。さぁ、声なき獣たちよ、我が力を知るが良い。『ヘイト』」
ヘイトは、文字通り周囲にいる敵の注意をすべてこちらに向ける魔法だ。
防御に特化した守備型の戦士たちや、大規模な殲滅魔法を得意とする魔法使いたちが覚えていることが多い。
クリスエスは単騎にも関わらず、その魔法を覚えている。
つまり、彼もまた広範囲に敵を殲滅する技を備えているということに他ならない。
剣闘師団を囲んでいた狼の魔物、ボスとも言えるウインドウルフ、その全てがクリスエスに敵意を露わにしている。
「スキル発動『異端審問』」
クリスエスがそのスキルを発動した。
スキル『異端審問』が発動すると同時に、クリスエスの目の前に一冊の本が顕現する。
Index Librorum Prohibitorum
表紙に刻まれたラテン語を邦訳して『禁書目録』。
クリスエスが異端審問官と恐れられる起源となった本である。
「獣たちよ、汝らに問う。我を傷つけることを欲するか?」
グルオオオオオオオ
ウインドウルフが雄叫びを上げると、その口から風の奔流が巻き起こり、クリスエスの方へ向かってくる。
「審問を受けることなく攻撃とは、ウインドウルフよ、貴様の行為は不道徳である。」
クリスエスがそう言うと、風の奔流が突然向きを変え、ウインドウルフに襲いかかった。
自らが発した風の奔流に切り裂かれ、ウインドウルフは絶命する。
「さて、獣たちよ、汝らに問う。汝らはセレスティアに害を為すものか?」
狼たちはその言葉が聞こえないかのようにクリスエスに向かって走り、飛びかかろうと大地を蹴った。
その刹那、跳んだ狼たちの首筋、腕、脚、さまざまな場所から血が噴き出す。
「所詮は声なき獣か。検邪である。」
クリスエスの手元から本が消える。
辺りは狼たちの血溜りができている。
まだ数匹の狼がピクピクと身体を痙攣させていた。
「ミコエル教の異端審問官の名において、貴様らに永遠の安らぎを与えてやる。」
後にその場面を見た剣闘師団の団員の1人はこんなことを話していた。
「クリスエス様は倒れた狼の中で、息のあるものにトドメをさしていきました。暗闇で顔は見れませんし、私たちは指示の通り離れた場所にいましたので、詳しくは分かりません。しかし、ちょうどその時、魔法師団が到着し、『ライト』の魔法で森を照らしたのです。ライトの光が明るい月の光のように私たちのいる場所にも届きました。その時、クリスエス様は笑っていたように見えたのです。狼たちの首元に剣を刺しながら。」
王城に迫った危機は取り除かれた。
剣闘師団の者たちしか知らぬ、夜の森での出来事。
すべてを終えたクリスエスは剣闘師団と魔法師団の増援を引き連れ、王城の門の中へと姿を消した。
クリスエスが王城に戻る少し前に時間は遡る。
「検邪である。」
血飛沫の舞う様子を遠目で覗き見ている者がいた。
「あれがクリスエス。異端審問官ですか。」
森の木の上にある1つの影。
「森に狼の魔物が出たという話を聞きつつけてやってきてみれば、これはこれは、僥倖ですな。」
整えられた丸みを帯びた髪型、丸めの眼鏡、動きやすそうな簡易な服装をしている男だ。
背中にはいわゆるリュックサックだろうか、黒色で明らかに機能性を重視した作りになっているのがわかる。
そして、手にはカメラのようなものが握られ、クリスエスの方に向けられている。
「おお、一匹ずつトドメを刺しますか。なかなか良い絵が撮れそうです。しかし、異端審問はよく分かりませんな。何かを話していたようですが、ここからは全く聞こえませんでした。」
独り言を言う男。
「いや〜でもこれはこれで良い記事になります。夜の森の激戦、異端審問官の力に迫る"なんてのもいいなあ。称号持ちランキングも更新しなくちゃ。」
称号、るかなんp。レミルメリカで随一の記者にして『トップテン』という名の雑誌を発行する男である。