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  • 執筆者の写真DOYLE

司書:アナザーストーリー(時系列16)

 正門から王城へとまっすぐに続く道を歩き、工房の横にある道を左に逸れると図書館のある通りに出た。王城に続く道は、多くの人が行き交うため改修されることも多いが、一本横に逸れたこの通りは、これだけ街の風景が変わった後もあまり違わない閑静さを保っている。工房の裏手にある塀を越えて、百日紅の枝が覗いている。膨らみ始めた蕾が、近く訪れる夏を教えてくれる。鮮やかな紅色が燃えている景色を思いつつ、木々が黄色に染まる季節まで長く私を楽しませてくれる枝たちを下から眺めると、蕾を支え嫋やかに枝垂れる葉が一枚一枚違った顔を見せてくれていることに驚いた。

 工房の裏手を右に折れ、武器屋、宿屋の裏手を横目に少し歩くと、左手に赤い旗がはためく建物が見えるだろう。それが図書館の目印である。今日は本当は閉館日なのだ。図書館が開くのは週に四度。いつもなら学園の制服に身を包んだ初々しい子どもたちや、常連らしい者たちがちらほらと姿を見せるのだけれど、図書館のドアから中に吸い込まれていくように消えていく人々がいないということは、やはり図書館は閉まっているのである。

 図書館の建物は、元々、王家の宿泊施設となっていた場所を先先代の国王が国民の教育力向上のためと改修に取り組んだものだ。国を巻き込んだ大きな戦争で一部が焼失したが、神殿の地下にある図書館へと本を移していたことで難を逃れた。

 図書館のドアの前に立ち「開錠」の魔法を唱えると、カチリと音を立てて鍵が開く。慣れた手つきで静かにドアを開け、中に入る。まだ明かりのついていない屋内は、明かり取りの窓から入る淡い光にだけ照らされている。入ってすぐさま目に飛び込んでくる光景は、先が見えない程、長く長く奥へと続く本棚であろう。

 この建物の内部は、魔道具によって亜空間に「収納」されている。入り口の開錠が魔道具の起動スイッチとなり、今ある場所と異なる場所を繋いでくれる。棚は見た限り幾重にも重なっており、棚の隙間を通ることもできるようになっている。入り口のドアをくぐると、目の前には小さな受付がある。ここが彼女の定位置だ。ここにある数億を数えるかという本は、すべて彼女の管理下にある。本に何かあればすぐにわかるようになっている。

 一階は、多岐に渡る分野の一般書が所狭しと並べられている。歴史、文学、医学、化学、数学、分野別の棚もあれば、小説や雑誌を置いている棚もある。一階の至るところに地下へと降る階段がある。この図書館は地下三階建て。地下一階へと降ると、広間のような空間に出る。広い場所にたくさんの机と椅子が置かれ、個別のスペースに区切られた場所も散見される。地下一階は、利用者が読者や勉強に使えるように工夫された空間である。地下二階へと降っていくと、空気が変わった印象を受けるだろう。レミルメリカにも研究は存在する。魔法があるからこそ、その可能性を追究する者も現れる。世界の事象を解き明かすことを望む者たちのための蔵書、研究書である。地下三階は許可のない者は何人たりとも立ち入ることができない。歴史的に貴重な遺産になるべき書物、人の目に触れてはならない禁書等が収められている。人の居ない図書館は怖いくらいの静寂で、衣服の擦れる音ですらこの空間を破ることができるのではないかとさえ思える。

 今、彼女はこの図書館の管理を任されている司書であるが、初めてこの図書館へ来たのは学園の二年生の頃のことであった。学園の退屈から逃れてこの館の前に立ち、まるで何かに吸い込まれるように中へ入った。入った目の前に座っていた一人の女性が「あら、あなた"魅入られた"のね。」なんていうものだから、応えに困っていると「あなた、司書に向いているわ。」と一冊の本を差し出してきた。その時の女性の表情が不思議と私の記憶に刻まれた。これという特徴もない顔立ちであるのだが、大人しく優しそうな顔をしている。色が白いからなのか、図書館から外へ出ていないからなのか、お世辞にも血色が良いとは言えないその顔は少し丸みを帯びていた。それでも、本を差し出したその手の指先は少し黒みがかっており、朝夕と本を手にとっている者のそれを感じさせるものであった。

 それから約十年の間には、波瀾があった。学園を出てからの彼女は、本と無縁の生活を送っていた時期もあった。そうかと思えば、時折、無性に本が読みたくなり、何日も篭って時を忘れてしまうこともあった。

 それでも、時折、図書館には通っていた。学園にいた頃は暇をもて余せば通い詰めていたものだが、卒業してからは仕事に忙殺されることも多かった。その中でも、司書の女性に会うために通い、受付に女性が座っている時には本も借りずに話し込むといった具合だった。なんとなく心が安らぐ。彼女にとって図書館はそんな場所になっていた。

 ある時、図書館に来てみると、鍵は開いているのに女性の司書はいなかった。代わりに白髪の老人が座っており、女性の司書の行方を聴くと、知らないと言われてしまった。その日から一度も女性の司書には会っていない。

 女性の司書がいなくなった次の日、彼女の家には差出人不明の荷物が届いた。入っていたのは最初の一冊、ヴァシーリー・グロスマン『人生と運命』。彼女は司書になることを決めた。

 受付と一階の灯りを点け、椅子に身体を預けると彼女は本を手に取った。薄暗い灯りにぼんやりと照らされた長い廊下の始まりで、独り本を開く気分は、独特であった。しかし、我儘にも誰一人として居ない図書館では心は落ち着きにくかった。

 本を開いた途端、足元に気配を感じる。彼女が足元に目をやると、暗闇の向こうに猫が一匹顔を出した。実に自然に柔らかく滑るように外へ出てくる。厳密には猫ではなく体躯は小さいが猫の魔獣である。猫は彼女の足元を抜けると座って前足で顔を擦る。それはそれは美しい。彼女が本に目を戻すと、猫は音もなく彼女の膝に飛び乗った。猫は、彼女が召喚した魔獣である。特性は猫と変わらないが、召喚した者の近くをそれほど離れることはない。今日、彼女はこの図書館で待ち人をしている。

 先日のことだ。その日は焼けるような暑さの日で、一通の手紙が郵便受けに入っていた。あまりにも仰々しい装丁だったため、何事かと思い急ぎ封を切ると、中には学園の教師として週に二度ほど働いて欲しい旨の依頼書がある。何の力が自分に働いたのかと凝然と考えてみるも解らぬことだらけである。彼女は決して多忙なわけでも、言われた依頼を断るつもりもなかったが、頼まれごとを疎略にすることは彼女の主義に反して居る。こと教師であれば尚更である。彼女は学園の代表者に会いたい旨を打診した。まもなくドアが開くだろう。

 ドンドンドンドンと扉を叩き、一人の男が中へと入ってくる。初老という言葉を体現した落ち着いた空気の中に、一抹の鋭さを宿している。


「お初にお目にかかります。学園の理事長をしております。mai と申します。ナチュラルPの称号を頂いております。」


 ナチュラルP、月の崇拝者として知られる彼は先王の時代から学園を統べる者。

 彼女は読みかけの本を音もなく閉じると、椅子を立ち上がり、軽く頭を下げる。猫は膝から飛び降りると、音もなく地面に立ち、尻尾を立てて彼女を見上げる。


「初めまして。ナチュラルP殿。セレスティア図書館の司書を務めます、切身魚です。」


 二人の話は夕刻まで続き、切身魚は図書館司書を継続しつつ、週に二度、学園の教壇に立つことになった。話を終え、ナチュラルPの背を見送った後、切身魚は帰り支度を始めた。未だ図書館の窓にうすら明りはあるのに、灯りが消えていく本棚は、闇に沈み黒い影と見えるばかりである。

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